舌にキノコが生えた3
ギラギラとした太陽はでかい。威圧的な姿勢は崩さず頭上に君臨している。ひとりで砂漠を歩き続けて、何時間経っただろう。もうずっと別の景色にはならない。砂、砂、砂。オアシスとかないかな。凶暴なベドウィンとか馬鹿なラクダでも何でもいい。他の存在に出会いたい。
それより重大な問題は水だ。500mlのペットボトルにあるミネラルウォーターは、あと3cmほどしか残ってない。喉が異様に渇く。パリパリ音を立てるようだ。ちょっとだけ飲んでしまおうかなと口を付けた途端、思わず全部飲み干してしまった。最後の一滴が切ない。ああ、あたしはここで死ぬのだ。
誰も来ない。孤独なまま、糞暑い砂漠で喉をパリパリにして死ぬのだ。ああ、苦しいよ~。
目が覚めた。喉が酷く渇いている。枕元のペットボトルに3cmほどの水はある。冷蔵庫へ行けば別のペットボトルもある。安心、安心・・・ケッ、何が安心なものか。水ひとつ飲むのだって激痛が走るんだ。ストローで喉付近の筋肉を目一杯使って、吸わなきゃいけないんだ。畜生、ヒヨコの野郎め。
そう、あたしは舌を切断したのだ。もう三週間になる。舌に生えたキノコを抜いたら意外に根が深く、血が噴き出し負傷した。主治医のオタク医者、通称ヒヨコに見せたら即切断だと言う。奴の研究してる専門分野らしく、非常に楽しげに説明しやがった。「まず、先端部を1cmくらいレーザーで切るわけ。神経は極力傷付けないから全然平気!そんで君から前に採取してある血漿とか染色体とか○○とかを選別して、優秀なやつを取り出すのね。それとヒアルロン酸と抗生剤を混ぜて云々」途中からなんだかわかんなくなったが、そんなに大仰に考えず手術させろと言いたいらしい。
「保険医療プラス自由診療分を30万でどう?」とだけは、はっきり言った。安いのか高いのか不明だが、筆談で「15万にして」と一応交渉めいたことをする。だって大久保だからな。東南アジアのヤバいとこと大した違いはない。22万円に落ち着き、めでたく手術したわけだ。
麻酔はなかなか効かなかった。アル中で睡眠薬や精神安定剤の濫用もしてるからか。オカワリを数度してガクっと効いた。目覚めたら白い四角い部屋で寝ていた。全身が重い。ヒヨコの診療所にこんな部屋あったのか。隠し部屋か。犯されたら嫌だな。いや、奴はそっちっぽいから、女には興味ないだろう。
ふわふわした感覚の中、思い出すのはサカイアカネのことだ。酒井茜なのか、堺紅音なのか、知らないし興味もないが、5年通った精神科でよく会う女だった。受け付けの無愛想なおばさんが「サカイアカネさん、診察室へどうぞ。サカイアカネさん、本日は960円になります」とか毎度言うから、女がサカイアカネだと認識した。
その精神科はある街の線路沿いのビルにあった。周りは犬連れで入れるオープンカフェや、カッコつけた花屋なんかがあった。それに合わせたのか、精神科もバルコニーがあって、ベンチや灰皿が置いてある。自殺防止の冊は不気味だが、待合室よりは開放的な雰囲気だった。
二週間に一回の通院日は、同じ曜日の同じ時間になることが多い。その日もバルコニーで自分の番が来るのを待っていた。サカイアカネもそうだった。「サカイさんは鬱っすか?」と声をかけた。「っすか」と言ったのは、ガリガリに痩せた彼女が茶髪ロン毛で紫色の口紅を塗って、黒いレギンスにアニマル柄のジャンパーを着てメンソールのタバコを吸ってたからだ。「ですか?」と聞くより的確な気がした。彼女は「ソーウツだよ」と答えた。躁鬱病か。今はちょうど躁の期間だそうで、テンション高くベラベラ喋った。「ねえ、薬ってえ足りなくならない?あたしってえ、時代を先取りしてるひとっていうかあ、偉大な考えの持ち主じゃん。だから、いっぱい飲んじゃってなくなるんだよねえ」と言って、ご丁寧にも大久保のオタク医者の電話番号をあたしの腕に書いてくれた。困ったらここへ行けと。薬など好きにくれると。
一応手帳に書き写した番号が後々役立った。気分変調性障害のあたしは、精神科の抗うつ薬を死ぬほど試したが、イマイチ治らなかった。ぼーっとするばかりで人間失格に成り下がり、精神科は勝手にドロップアウトした。でも具合の悪くなることが多く、そんなときにサカイアカネに貰った番号に掛けてみた。医者は医者らしくないが、精神病患者扱いも慣れている。なんでも独自の研究をしてるそうで、奇妙なアンチエイジング法を編み出しては、怪しい科学雑誌に登場したり、海外の長寿研究学会に招致されたりする謎の医者だ。
そいつに手術されたあたしは、既に家にいる。まだ舌は自由に動かないが流動食は摂れるし、少しは喋れる。三日に一度、抗生剤入り栄養点滴をやりに行く。ヒヨコはあたしの舌を見て満足そうに「いや~、よかったなあ。すっかりくっついてるじゃない。もうすぐ歌えるよ」と言う。あたしはiPodに入ってる、アイスランドの女性デュオ、パスカル・ピノンの音をヒヨコに聞かせる。「ほんなふうにうたへまひゅか?」、こんな風に歌えますか?と聞く。別に超歌唱力のある歌手に憧れるわけじゃない。ウィスパーアート系のやりたい音だけ出ればいい。ヒヨコは「全然、余裕でしょ」と言った。「こんなのが何でいいかわかんないけどね。」とも付け加える。放っておいてくれと思った。
これは完全なるフィクションです。
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