舌にキノコが生えた

 口の中が気持ち悪かった。髪の毛とかウールの毛布から抜けた毛とかがあって取れないような感じ。午前2時40分、真っ暗な寝床に横たわりながら口に手を突っ込んで探った。ちょっとした埃はよく入る。口にも鼻にも目にも。その度、あたしは神経質に取り除く。こういう些末なものでアレルギーっちゅうのは起きるのだよと、誰にでもなく呟く。歯の内側や外側を舌で探っても何もない。喉の奥や舌の裏などを触ってみても毛らしきものはないようだ。
 仕方なしに起き上がり枕横にあるライトのスイッチを入れる。しかし寝床のある空中ロフトスペースに鏡はない。意を決して梯子を降り、階下の部屋へ向かう。アルミ製の梯子は温かみのある白色になっているが所詮アルミだ。足の裏に冷たく当たり、一段一段降るごとにカンカンと安い音がする。
 あたしの部屋に鏡は三箇所ある。メインは鏡台と兼用のライティングデスクに合わせ壁に設置した、フランス製1920年代の飾り鏡。くすんだ金色の額縁がそれっぽい。雑貨屋ののみの市フェアみたいなときに買ったものだ。もうひとつはマントルピースのある壁に取り付けた錆びた金属製の縁の鏡。マントルピースといったって暖炉があるわけではない。ただの飾りだ。組み立て式のやつをセールで1万円くらいで買ったものだ。あともうひとつの鏡は子供の頃から使ってる姿見。大きいだけのただの姿見。いかにもディスカウントショップっぽい安い木の茶色が嫌で、高校生の頃白いペンキで塗った。何度も棄てようと思ったが、姿見の存在は便利だ。いつもどこかしらに置いておいたら、ペンキの白色がくすみ少しシャビーって感じになって好きになった。
 そんな三箇所の鏡、口内を覗く為に撰んだのは姿見だ。ここは照明の当たりが一番強く調節できる。煌々とライトアップされた鏡の前で口を開ける。寝ぼけた自身の顔を見るのはウザいので口内だけを見るように決めてから見る。
 驚いた。あたしの舌が変だ。薄い赤色の舌に無数の突起物がある。白くぷよぷよした1ミリ程度のもの。よく見るとキノコのような形状をしている。ひとつが抜け落ちたのか歯に引っ掛かっている。爪でそれを摘んだらキノコは長い糸ような根があり、舌にまだ繋がってるようだった。引っ張ると軽い抵抗がある。思い切って強く引っ張ってみると、ぴちゅんって感じに抜けた。舌に楊枝の先くらいの血が滲む。たいして痛くない。他のやつも抜いてみた。舌に強く根付いてるやつでも引っ張れば抜けた。その度に長い糸のようなものがヒュルヒュルと採取できる。軽い出血などあたしにとっては何でもない。女は毎月血を流すのだ。リストカット慣れもしてるし。
 舌のキノコを抜いてたら、ひとつ大物を見つけた。3ミリくらいのやつ。舌の前方にある。これを抜いたら気持ち良さそうだ。爪で突くと強く根付いてそうな抵抗がある。それでも好奇心には勝てずに引っ張った。強い痛みが走る。
 その後、大量の血が噴き出した。姿見の中、血を吐いているあたしの姿はグロい。喉にも血液と丸まった舌が詰まるし、パニックだ。近くにあったタオルを口に突っ込んだ。もはやキノコがどうなったか、傷がどの程度なのか、どうでもよくなった。舌の血を止めるのはどうするんだろう、Googleで調べようか、一階に寝てる母に言ったら大騒ぎしそうだから言わない方がいい。知り合いの医者に電話してみよう。夜中だけど。緊急事態っぽいし。
 携帯電話のアドレスにある医者の番号にかける。明らかに面倒臭そうな医者の声が聞こえたのを待ち、「舌が痛いです」と言うが「ひたがひたいでひゅ」となってしまう。要領を得ない様子だったが、とりあえず「朝一で来い」と言われる。
 口に突っ込んだタオルが赤く染まって行く。朝って何時くらいからなんだろうと思った。




※これは完全なるフィクションです。



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円弧で食事

六本木四丁目交差点の円弧。蕎麦屋さん。アマンドのとなり。ここ好き。


盛り蕎麦食べた。これで280円。生卵はウズラか普通のか選べる。大根おろしと柴漬けと卵焼きが付く。しかも十割蕎麦。
蕎麦湯はドロドロでお汁粉のよう。冷たい韃靼蕎麦茶もある。富士そば、小諸そばの時代は終わった。
メニューにうどんがないとこがポイント高い。海苔蕎麦に惹かれるけど350円だから盛りになってしまう。私はどこまでケチなんだ。スタバの飲み物より安いのに。
おいしかった。幸せ。
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10月、山田ルキ子でございます!

本日発売のCut、松本潤さんの端正なお顔が素敵。ファンの皆様、お見逃しなく!

私のページ、「小さなスクリーンの中で生きていたい」

こちらのブログでもしつこく書いてます、グザヴィエ・ドラン監督の日本劇場初公開作品『わたしはロランス』と、セルジオ・カステリット監督の新作『ある愛へと続く旅』を取り上げています。
今年、アンジェリーナ・ジョリー監督の『最愛の大地』をご覧になった方は多いかと思います。ぜひ『ある愛へと続く旅』も観てください。セルジオ・カステリットが凄い力のある監督であることに驚くと思います。

そしてなんと

グザヴィエ・ドランの特集が組まれてました!自分のことのように嬉しいです!
いいものが認知されて行くと、きっともっと日常が楽しくなりそうです。

どうぞご一読ください。
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セルジオ・カステリットについて 赤いアモーレ

2004年のイタリア映画『赤いアモーレ』。セルジオ・カステリット監督の作品。原作はマーガレート・マッツアンティーニ。ふたりは夫婦だ。
アモーレ!というと、なんだか陽気なラテン系コメディーを想像してしまいそうだが、これは重い愛の物語。
裕福な外科医の男が車の故障でたまたま立ち寄った安っぽい居酒屋、そこで給仕している女。電話も繋がらなくて困る男に女は自宅の電話を貸すと言う。カラカラに渇いた暑い夏、前を歩く女は下品なミニスカート、がに股で歯並びも悪くド派手な化粧をしている。案内された彼女の家は寂れた廃墟のような団地。玄関には踏むと間抜けな音のするマットが敷いてある。不意に劣情を刺激された男は女を犯してしまう。女はそれほど抵抗しない。
男は真っ当な市民だ。美しい海辺の豪邸に美しい妻と暮らしている。何故あんなことをしてしまったか、後悔して後日謝りに行く。そしてまた犯してしまう。罪悪感に苛まれる男に、女は「スパゲティー作るけど食べる?」と聞く。恵まれた男と最下層の女は、不条理で不可解な愛の地獄に堕ちて行く。

まるで遠藤周作の『私が棄てた女』イタリア版。この作品は衝撃的だった。しかし不快な感じはしなかった。赤いパンプスをプレゼントするところなど、フェミニンであるとさえ思えた。話だけ聞けば許せない内容なのに。
セルジオ・カステリットは『グラン・ブルー』にも出てた俳優出身の監督。この作品では外科医の男を演じてもいる。独特の美しい影像を撮る。下品なシーンも文学作品のように叙情的。女はイタリアというカトリックの聖母を表すような名前で、ペネロペ・クルスが演じる。歯はどうやってメイクしたんだろう。不細工で、そこが哀しくて良かった。
不思議な後味の『赤いアモーレ』。身体も心も朽ちて行く女に「僕のことを許さないだろうね」と男は言う。すると女は「神が私たちを許さないわ」と応える。凄いグっとくる場面だった。
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グザヴィエ・ドランについて メルヴィル・プポー

性同一性障害でありながら女を愛する男、という難しい役。最初はルイ・ガレルに決まっていたらしい。
ルイ・ガレルといえば巨匠フィリップ・ガレルの息子で、ベルト・ルッチの『ドリーマーズ』では姉と友人との変な三角関係をやったり、フィリップ・ガレルの『愛の残像』では捨てた女の幽霊に呪われたりしてた。アート系の知性的雰囲気を漂わせファッションブランドの広告にも出てくる。彼なら確かにグザヴィエ・ドランが使いたがるだろうと思った。
しかし何故か撮影15日前に降板になったそう。同時期の違う作品もルイ・ガレルが降板した話を聞いた。そういう時期だったのかもしれない。またはドランのはっきりした性格が巻き起こした何かなのかもしれない。
それでメルヴィル・プポーが主役のロランスをやることになった。元々脇役で呼ばれていたそうだ。でもこれは大正解。
メルヴィル・プポーといって思い出す作品、私は絶対、フランソワ・オゾンの『僕を葬る(おくる)』。ゲイの末期癌患者をやっていた。死ぬとわかってからの孤独な終活。恋人(男)との激しいセックスシーンは生々しくてグロかった。トイレで吐くとこも痩せ細っていく様子も凄かった。だが、メルヴィル・プポーは何をやっても美しい。汚さとは無縁の不思議なひと。
『わたしはロランス』を観るとロランス役はメルヴィル・プポー以外にありえないと思えてしまった。スザンヌ・クレマンとの会話では感情をあらわにし、マッチョな男と喧嘩もし、母親に泣きながら電話をする。シワの多くなった顔でボロボロな風情も隠さない。なのになんだ!このノーブルさは。
彼がどんなに低俗な台詞を喋ったとしても、そのシックな雰囲気は残るのだと思う
。ロランス・アリアの印象、と思い出すなら彼の薄く微笑んでいる顔が浮かぶ。女でも男でもなく超越した性。
この作品ではドラン本人がやらなくて本当によかったと思う。
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