グザヴィエ・ドランについて 物語

このフライヤーにある場面は、とても美しい。主人公カップルが長年行きたかった土地へ旅するシーン。青い空の下、地面には雪が残っている。男は紫のコート、女は青いコート、それぞれ色付きのサングラスをかけている。
ファッションショーの如く音楽が鳴る中を歩くふたりは幸せそうだ。空から降ってくるのは色とりどりの布。服なのか布切れなのか、度々登場する洗濯ものなのか、わからない。
このシーンだけ観ても強烈なインパクトがある。これくらいビジュアルに凝った場面が168分続く『わたしはロランス』。恐ろしい。ちょっとトイレ、とか言えない感じ。数秒足りとも見逃せない。
だがグザヴィエ・ドランは「自分がスタイルや学説を発明したなんて思い上がりで時間を無駄にするつもりは一切ないよ」と言う。絵画や写真の構図、偉大な映画作家の手法などアイディアや技術は、1930年以来すべてなされたと。
「僕の仕事は、物語を語ること、うまく語ること、そして、その物語に値する、ふさわしい演出をすること。」と言っている。
これは音楽を作る私のような人間にもわかりやすい。音もリズムも出尽くされている。思いつくアイディアだって、きっと過去の誰かのものに似てるはず。それならワタシというリアルなものを通して自然発生するメロディーや言葉を出すしかない。かっこいいサウンドを常に求めるが、外側から攻めたものに終始して、物語(ワタシ、メロディー、言葉)がなければ空疎なものになる。
ドラン作品のスペシャルさは、筋の通った強い物語によるものだ。お洒落なだけではない、本物の愛を描いている。
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グザヴィエ・ドランについて 怒り

何故ここまで、彼の作ったものに惹かれるのだろう。ずっと考えてた。
『マイ・マザー』を観てわかった。それは怒りであると。ドラン作品のキャラクターたちは物凄く怒る。機関銃のように怒りの台詞をぶちまけ、手振り身振りも大きい。テンションが上がり過ぎた様子は、その俳優のキャリア的に大丈夫?と心配するほど見苦しい。
ただ私はそこに強烈に惹かれた。胸の奥をぐらぐらと揺さぶられ、気付いたら一緒に泣いていた。
怒りは感情の中で一番強いものだという。自分自身、怒りに翻弄され人間関係や仕事を失ってきた。しかしどうしようもなく逃れられない感情で、悲しいと同時に何かを生み出す原動力にもなる。グザヴィエ・ドランがそんなことを考えてるのかどうなのかはわからないけど。
『マイ・マザー』の怒りシーンは『わたしはロランス』の10倍はある(笑)「ママは食べ方も汚いし、服のセンスも悪いし、教養がないし、最悪の母親だ」と決定的なことを叫ぶシーンは本当に悲しい。相手に怒るというより、行き場の失った愛情、自身の葛藤の露出。若干、ドランが子役時代の名残のような演技で怒り狂ってる感じもあり、食傷気味でもあるが、後の『わたしはロランス』がいかに進化し洗練されたものであるかがわかる。スザンヌ・クレマンの怒りシーンは素晴らしい。驚嘆ものだ。
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グザヴィエ・ドランについて マイ・マザー

『マイ・マザー』を観た。2009年の、この作品を観たくて探していた。ソフト化はされていない、テレビの映画チャンネルで一部放映されたらしい、などあやふやな情報しか得られなかった。タイトルも『マイ・マザー 青春の傷口』とか『母を殺す』だとかなんだかわからなかった。
そんな中、試写会のお知らせを頂いた。おお!来たか!と興奮して初日に観に行った。
私とリアルに接する機会のあるひとは「またか」と思うにちがいない。ここひとつきグザヴィエ・ドラン病な私は会う人のほとんどに「どうか、あなたの2時間48分を『わたしはロランス』を観る時間にください!」と勝手に宣伝マンと化していた。『わたしはロランス』は公開が始まっている。その話はまた後日。
まずは『マイ・マザー』。これはグザヴィエ・ドランの長編デビュー作品だ。この写真にあるイケメンの若者がそのひとである。彼が18とか19歳のときに撮ったもので、初監督にしてカンヌ映画祭で受賞、アカデミー賞カナダ代表、セザール賞外国語部門ノミネートなど輝かしい作品。なのに日本じゃ公開されてなかった。不思議な国、日本。アートを認めたがらない。『わたしはロランス』の世界的ヒットを聞いてやっと観られるようになるのだ。
『マイ・マザー』がどういう作品かと乱暴にいうと、近親憎悪だ。母を忌み嫌うユベール(グザヴィエ・ドラン自ら演じている)は「僕は息子に向いてないかもしれない」と言う。すると女教師は「母親に向いてないひともいるわ」と言う。空想で母を殺す、そんな自分に苛立ち不信感を増殖させる。身近なひとの嫌な部分は気になってしまうものだ。特に肉親だと自分にも存在する嫌な部分に思えて、憎悪は増してくる。多くのひとが共感するテーマだと思う。
この作品は暗いテーマに関わらず、コメディー要素もふんだんに入ってるとこが私は気に入った。
『わたしはロランス』を観た方はご存知でしょうが、彼のビジュアルセンスは凄まじい。『マイ・マザー』はそんな彼の原点が見えるような、低予算で最大限にやっていた感じがする。ものすごく努力家なひとだ。11月9日から公開される。
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ブッダ・マウンテン~希望と祈りの旅

中国のリー・ユー監督の新作『ブッダ・マウンテン~希望と祈りの旅』は哀しさと愛情溢れる作品。
08年の四川大地震の日に息子を事故(地震とは関係なし)で亡くした京劇女優と、彼女の自宅マンションの貸し部屋に入居してきた若者三人の変な同居生活。
中国ってこんなルームシェアがあるんだと思った。他人とでも同居できちゃう国民性なのか、経済成長したとはいえお金のない庶民はこんな感じなのか、ちょっとしたカルチャーショックがある。
若者三人は家族との確執を抱えながらのバイト生活。男二人に女一人の仲良し三人組。気難しい女優と反発しながらも、彼女の深い闇を知り、四川大地震で崩壊した「観音山」へ誘う。風光明媚な土地だが、倒壊の残骸は凄まじく心の安らぎには程遠い。
そして四人は仏像の修復作業を手伝うようになる。それぞれが心の傷を癒すかのように。粗暴な彼らの日常に対し、美しい自然の中、清涼な風が吹く様子が感動を呼ぶ。
国は違えど地震を体験し、また仏教に馴染みのある民族ならではの共感を覚えた。
痛々しい青春ものとしても、愛する者を亡くした虚無感を癒すものとしても捉えられる作品だった。
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TRASHEDーゴミ地球の代償ー

ジェレミー・アイアンズが好きだ。胃腸の弱そうなヨレヨレ具合がそそる。
クローネンバーグの『Mバタフライ』で女装男に恋してボロボロになってたジェレミー・アイアンズ。ルイ・マルの『ダメージ』でジュリエット・ビノシュと禁断の快楽と堕落を見せてくれたジェレミー・アイアンズ。このひとはなんでこんなに駄目ダメなんだ!とかつて少女の私は思った。
そして彼が製作総指揮をとるドキュメンタリー作品『TRASHED-ゴミ地球の代償-』を観て驚いた。ジェレミー・アイアンズはめちゃくちゃ正義に溢れる精力的なひとだった。
世界共通のゴミ問題に迫った作品。ビニール袋とかペットボトルってヤバいのねと改めて思う。深海の水を採取するとプランクトンの数よりプラスチックの破片の方が多いみたい。ちゃんとリサイクルできてる国は少ないらしい。商品に表示されてるマークもまぎらわしくて消費者それぞれがチェックしなきゃいけない時代だ。
世界中がゴミに悩んでいる。しかしそれは新たな産業や雇用を生み出す可能性があると本作では示唆されていた。
私的には「もう絶対、自然に還る素材のものしか買わない!ペットボトルはいらない」と単純に影響を受けた。
それにしてもジェレミー・アイアンズは絵になる。ゴミの山に佇んでいるだけなのに、名作映画のワンシーンのようだ。それだけでもこの作品は貴重だ。
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