ダークチェリーのフラン

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友人との会話は尽きない。
彼女は大学院生でありながら、医療の最先端にいるひと。今は終末医療に関心があるらしい。将来は末期患者の訪問看護という分野を広げたいと言う。
白血病で死が間近な子供は「家に帰りたい」と言うそうだ。そんな子供の死を何度も見て、彼女は考えた。
子供でも老人でも、本人の意思と関係なく沢山の管に繋がれる。ギリギリまで生命を無理やり維持され死ぬ、病院の現実が嫌だと強く言う。
瀬戸際に立ち会う医療者は、死に繋がることは選択できない。たとえもう生きられないとわかった時点でも「こうしなければ死にますがどうしますか」と家族に言い、結果、必ず処置をすることになる。命だけを繋ぐ為との心臓マッサージをして気道を確保し、電気や薬剤の刺激も与える。
愛するひとの体が電気で跳び跳ね、スパゲッティのような管に繋がれる様子を、誰が見たいだろうか。もちろんそれで後の人生が長く幸せに延びるなら、是非やるべきだ。
私は幸か不幸か。きっと不幸だが、沢山の死を見せてもらった。友人も自殺した。若くしての自然死もある。でも若くても年老いても、死ぬのはどうしたって哀しい。生きてる周りの者からしたら。なんで二度とコミュニケーション取れない形でシャットアウトしちゃうの、って哀しくなる。
来世があるとか、すべては無だとか、ひとが生きやすくする考え方はあるけど。
久しぶりに再会した友人との会話は、楽しいが重いものだった。でもちゃんと生きている彼女の声を聞けて幸せだった。
写真はデザートで食べたもの。ダークチェリーのフラン。小麦粉入りかな。硬めでおいしかった。

再会を祝う

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久しぶりに再会した友人と街をぶらぶらして、こじんまりとしたビストロに入る。
自分の部屋にあるようなフランスの絵がいっぱいある。アンティークまではいかないくらいの古さで、あまり高くないやつ。
茶系の内装に紙のランチョンマットもカジュアルで可愛い。
泡で乾杯した。

庚申塚

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ふいに住宅街に現れる庚申塚。お地蔵さんがいっぱい。
私は何気にこういう好き。学校では説話文学が専門だった。源氏物語や村上春樹にははまらず、ひたすら笑い茸や河童が出てくるような、エロでアホな文学を追いかけていた。
一緒に歩く友達は最近、大学院を卒業した。民族学を突き詰めて研究したと言っていた。私よりプロの民族オタクだ。
おんなふたりが庚申塚の前に立ち止まり、夢見心地で佇む様子は若干怖い。
私「地蔵っていいよね。でも、私はどちらかというと道祖神に惹かれるな。猥褻なエネルギーがあってさ」
彼女「ああいう石のフォルムにもいちいち意味があるんだよね。日本人って凄いよね」
などと真面目に語る私たち。歩いてるうちに小さな祠も見つけ、やはり立ち止まる。
怪しさ満点、狐が化けるやつかな、商店街にあるってことは商売繁盛のやつかも、朽ちかけた石に赤い布は萌える、など好き勝手なことを語る。
久しぶりに学生気分に戻った。

こういうのって切る?

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今、電車の中。
前に座ってる女の子はピンクのマフラーしてる。可愛い。
それはいいがマフラーのタグっていうの?洗濯の仕方が書いてあるタグ、あれがピラピラしてる。なんか変だなと思う。
でも、そんな自分のマフラーを見ると・・・おお!しっかりタグ付きだ。結び方によっては、世間の皆様に私のマフラーは羊毛で出来てて40℃以下で洗うんですよ、とアピールしてるってことだ。これって切り取るものなのだろうか。首の後ろのはチクチクするから取るけど。

ぼた~ゆき~

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こな~ゆき~♪って歌があったけど、あれは正しい。ぼたゆきじゃカッコ悪い。確かに。ロックやポップスにならない。
ぼたゆきが連想させるもの。寒い日本海の漁場の町。夜11時30分、群青色の煤けた布に「あけみ」と白く筆で書かれた暖簾をくぐり、古い木の引き戸をガタガタあける。薄らぼんやりした裸電球に照らされたカウンターが見える。
カウンターの上には茶色い惣菜を盛った大皿や芋焼酎の瓶だけではなく、地方紙の夕刊や子供用玩具が雑然と置かれている。客に気付いた「あけみ」さんは急いで新聞や玩具を脇によける。
「あら、今日は遅いのね。おビール?それともお酒をつけた方がいいかしら。」などとダミ声で言う。
あけみさんは小肥りだが愛嬌のある顔立ちで男好きする。都会で悪いひとに騙され借金の連帯保証人になってしまったひとだ。悪いひとの前の前にあたる男と作成した子供は、もう小学生になっている。
子供の身を案じ、取り立てから逃げるようにこの地にやってきた。苦労人はひとに優しい。俺の過去も詮索しようとしない。
IT業界の寵児と呼ばれ、時代を操っているかのような錯覚していた日々。どこへ行ってもチヤホヤされ、テレビのコメンテーターにもなった。ベビーフェイスが功を奏し、主婦層に「可愛い」と評判になった。時々舌が回らないと、お笑い芸人に突っ込まれ、そのうちにテレビでの露出も増えるようになった。
外車を数台所有し、転がすだけのマンションも数件持つことができた。しかし、ふとした瞬間に足を掬われた。側近だと思っていた男の方が一枚上だったのだ。考える間もなく地獄に陥った。泥沼の裁判にマスコミの好き勝手な憶測。金も失い、家族とは音信不通。執行猶予つきだが前科者にもなった。周りは全て敵の顔に見えるようになった。
ここ「あけみ」の当たり障りのない会話、それは過去の自分だったら無意味だと小馬鹿にしただろう低次元のものだ。だがそんなものにどれだけ救われてきたか。だからこんな取り柄もない店に、ただの小汚い職人見習いと偽って、通ってしまうのだ。
今夜もあけみさんは言う。「ねえ、夜半にはぼたゆきになるって。ぼたゆきは積もらないから好きよ。夜に生きる女の涙みたいじゃない?」
どこかで聞いたような安い台詞。だがどうしてか、胸が焼けるようにに痛くなってくるのだ。
私は演歌の作詞家を目指そう。