ダークチェリーのフラン

luki オフィシャルブログ-130220_1253~01.jpg
友人との会話は尽きない。
彼女は大学院生でありながら、医療の最先端にいるひと。今は終末医療に関心があるらしい。将来は末期患者の訪問看護という分野を広げたいと言う。
白血病で死が間近な子供は「家に帰りたい」と言うそうだ。そんな子供の死を何度も見て、彼女は考えた。
子供でも老人でも、本人の意思と関係なく沢山の管に繋がれる。ギリギリまで生命を無理やり維持され死ぬ、病院の現実が嫌だと強く言う。
瀬戸際に立ち会う医療者は、死に繋がることは選択できない。たとえもう生きられないとわかった時点でも「こうしなければ死にますがどうしますか」と家族に言い、結果、必ず処置をすることになる。命だけを繋ぐ為との心臓マッサージをして気道を確保し、電気や薬剤の刺激も与える。
愛するひとの体が電気で跳び跳ね、スパゲッティのような管に繋がれる様子を、誰が見たいだろうか。もちろんそれで後の人生が長く幸せに延びるなら、是非やるべきだ。
私は幸か不幸か。きっと不幸だが、沢山の死を見せてもらった。友人も自殺した。若くしての自然死もある。でも若くても年老いても、死ぬのはどうしたって哀しい。生きてる周りの者からしたら。なんで二度とコミュニケーション取れない形でシャットアウトしちゃうの、って哀しくなる。
来世があるとか、すべては無だとか、ひとが生きやすくする考え方はあるけど。
久しぶりに再会した友人との会話は、楽しいが重いものだった。でもちゃんと生きている彼女の声を聞けて幸せだった。
写真はデザートで食べたもの。ダークチェリーのフラン。小麦粉入りかな。硬めでおいしかった。