ダークチェリーのフラン

luki オフィシャルブログ-130220_1253~01.jpg
友人との会話は尽きない。
彼女は大学院生でありながら、医療の最先端にいるひと。今は終末医療に関心があるらしい。将来は末期患者の訪問看護という分野を広げたいと言う。
白血病で死が間近な子供は「家に帰りたい」と言うそうだ。そんな子供の死を何度も見て、彼女は考えた。
子供でも老人でも、本人の意思と関係なく沢山の管に繋がれる。ギリギリまで生命を無理やり維持され死ぬ、病院の現実が嫌だと強く言う。
瀬戸際に立ち会う医療者は、死に繋がることは選択できない。たとえもう生きられないとわかった時点でも「こうしなければ死にますがどうしますか」と家族に言い、結果、必ず処置をすることになる。命だけを繋ぐ為との心臓マッサージをして気道を確保し、電気や薬剤の刺激も与える。
愛するひとの体が電気で跳び跳ね、スパゲッティのような管に繋がれる様子を、誰が見たいだろうか。もちろんそれで後の人生が長く幸せに延びるなら、是非やるべきだ。
私は幸か不幸か。きっと不幸だが、沢山の死を見せてもらった。友人も自殺した。若くしての自然死もある。でも若くても年老いても、死ぬのはどうしたって哀しい。生きてる周りの者からしたら。なんで二度とコミュニケーション取れない形でシャットアウトしちゃうの、って哀しくなる。
来世があるとか、すべては無だとか、ひとが生きやすくする考え方はあるけど。
久しぶりに再会した友人との会話は、楽しいが重いものだった。でもちゃんと生きている彼女の声を聞けて幸せだった。
写真はデザートで食べたもの。ダークチェリーのフラン。小麦粉入りかな。硬めでおいしかった。

再会を祝う

luki オフィシャルブログ-130220_1137~01.jpg
久しぶりに再会した友人と街をぶらぶらして、こじんまりとしたビストロに入る。
自分の部屋にあるようなフランスの絵がいっぱいある。アンティークまではいかないくらいの古さで、あまり高くないやつ。
茶系の内装に紙のランチョンマットもカジュアルで可愛い。
泡で乾杯した。

庚申塚

luki オフィシャルブログ-130220_1125~01.jpg
ふいに住宅街に現れる庚申塚。お地蔵さんがいっぱい。
私は何気にこういう好き。学校では説話文学が専門だった。源氏物語や村上春樹にははまらず、ひたすら笑い茸や河童が出てくるような、エロでアホな文学を追いかけていた。
一緒に歩く友達は最近、大学院を卒業した。民族学を突き詰めて研究したと言っていた。私よりプロの民族オタクだ。
おんなふたりが庚申塚の前に立ち止まり、夢見心地で佇む様子は若干怖い。
私「地蔵っていいよね。でも、私はどちらかというと道祖神に惹かれるな。猥褻なエネルギーがあってさ」
彼女「ああいう石のフォルムにもいちいち意味があるんだよね。日本人って凄いよね」
などと真面目に語る私たち。歩いてるうちに小さな祠も見つけ、やはり立ち止まる。
怪しさ満点、狐が化けるやつかな、商店街にあるってことは商売繁盛のやつかも、朽ちかけた石に赤い布は萌える、など好き勝手なことを語る。
久しぶりに学生気分に戻った。

こういうのって切る?

luki オフィシャルブログ-130220_1052~01.jpg
今、電車の中。
前に座ってる女の子はピンクのマフラーしてる。可愛い。
それはいいがマフラーのタグっていうの?洗濯の仕方が書いてあるタグ、あれがピラピラしてる。なんか変だなと思う。
でも、そんな自分のマフラーを見ると・・・おお!しっかりタグ付きだ。結び方によっては、世間の皆様に私のマフラーは羊毛で出来てて40℃以下で洗うんですよ、とアピールしてるってことだ。これって切り取るものなのだろうか。首の後ろのはチクチクするから取るけど。