普通のこともやってます

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マラソンや映画のことばかり書いてますが、一応私は音楽に携わる人間です。今夜はスタジオでアレンジ作業。
私は歌詞作り。ひとつできたので読書などしてます。『ラオスにいったい何があるというんですか?』は村上春樹さんの紀行文。
彼のエッセイ類は(たまに小説でも)ランニングの話が必ずといっても出てきて、私としては共感することが多いです。
さすがに紀行文では、と思ったらのっけからボストンマラソンの話でした。
知性と筋肉は別物ではないようです。

健全な身体に不健全な魂を宿して〜富士五湖ウルトラ、走り編

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入賞もしなかった私の走りなど、どなたの参考にもならないでしょうが、自分の記録の為に残しておこうと思います。
100km制覇にあたって、まず重要なのはどんなペースで走るかでした。10時間切りを目指すなら1kmあたり6分で行けば成功できます。
私のフルのペースは5分17秒で、10kmや20kmのペースはだいたい4分半くらいなので6分で走るのはそれほど大変ではありません。
でも長距離を持続する体力があるか、またトイレや給食などで使うロスタイム、風や雨などの不測の事態、そして体調やメンタル問題。
全ての条件を完全にクリアすることはかなり難しいです。やってみなきゃわかんない、って感じでした。
それで一応、5分45秒をペースとして目安にしました。スタートからゴールまでの5km毎の到達時間をテーピングテープに書き、左腕に貼りました。
そしてスタート。4時45分はまだ暗いですが2日前の練習で試していて、15分後には明るくなることがわかっていました。
同時刻スタートのランナーは600人以上いたのでしばらくは団子状態。およそ10km地点までは自分のペースにはならないだろうなと予想した通りでした。
団子で進みつつも結構な坂を上がったり下ったりします。10km越えて団子がバラけてきたあたりの下りでワタシ走りを始めました。
これは下りの自分独特の技で、ひたすら落下するというもの。
具体的にやることは身体の力をほぼ全部抜くイメージであらゆるスイッチを切ります。急な下り坂に対して垂直に立ち、重力で落ちて行くのに任せ落下します。4分前半くらいのスピードが出るのでかなり怖いです。でも恐れてふくらはぎや膝や足首などでブレーキをかけないようにします。そのブレーキで足が痛むので。転ばない為には重心を下げるのが大事。腕の力を抜いてブラブラと身体の横に下げると重心が下がります。
かなり変なフォームです。お化けのようにフワフワグニャグニャした物体が坂を平行移動している感じです。
しかしこれは絶大なワタシ技で、おそらくこれを使う毎に100人は軽く抜いてました。しかも体力のロスはゼロ。下りながら休憩ができるわけです。
こうやって団子を抜けた後は平坦ロードでは大体5分30秒ペースで安定しました。
それで50kmあたりまで進むと、腕に貼った目標到達時間より3分ほど速くなってました。
今だから告白しますが、この地点で私は身の程知らずにも優勝を狙っていました。8時間台で走るひとがいたら終わりですが、後半にもっとペースアップする予定の私は9時間半を切ってゴールするつもりで、上位に行ける可能性があると考えていました。
けれどやはりウルトラはそんな甘いもんじゃありませんでした。
56kmのドロップエイドで友人に会い話をして、預けていた袋の中の豆乳を飲み、エイドでエネルギーゼリーを頂きポーチに入れようとしたら大き過ぎてその場で食べることに。
それが後々響きました。
西湖に着いた頃、トイレに行きたくなったのです。私の計画ではレース中はトイレに行くつもりはなく、その為に前日から電解質水でウォーターローディングをしていました。でも女子の参加が少ないウルトラでは女子トイレはガラガラでいつでも入れると聞いてました。なので綺麗そうな西湖のトイレに向かいました。
あろうことかここのトイレが激混み!10分くらいのタイムロスです。
ちなみに私はエイドはまずスルーです。立ち止まり飲み食いというのはしません。かなり美味しそうな吉田のうどんもスルーです。15km毎に手持ちボトルに水を補給するのみで、ポーチに仕込んだジェルとサプリで持たせるつもりでした。
あのゼリーさえ摂らなければと後悔しても時既に遅し。
腕に貼ったタイム表も見る気が段々失せてきます。
そんな頃に現れる上がり坂。たまに歩いてしまいました。
精進湖に向かうあたりで71kmに参加しているゲストランナーのオリンピックメダリストのエリック・ワイナイナさんとすれ違い挨拶しました。それで少し元気が出てまたペースアップできました。
精進湖一回りを終えると、これから精進湖へ向かうランナーとたくさんすれ違います。
知り合いにも遭遇、前夜祭で会ったおじさんともすれ違いました。ここで向けられるのは「コイツ速いな」という、たくさんの視線です。
ここで歩いたりみっともない姿を見せたらいかん!と頑張りました。
しかし上り坂の打撃はかなり溜まっています。もうタイムがどうということは考えず、走れるときは走る、下り坂でまた稼ぐことにしました。
70km地点にはウルトラエリートランナーの岩本能史さんがいらっしゃいました。私は彼の方式で練習をしてきたので実物に対面して軽いトキメキが。きっとご自分のチームメンバーを応援される為にいらしたのだと思いますが、私にも「頑張れ!」と声を掛けてくださいました。かなり元気を取り戻し元のペースに。
しかしすみません。岩本さんチームの100kmの方々は男子も女子も全て抜かせて頂きました。
これで最後まで行けるかなと思いました。が最後の魔物が待っていました。
ラスト5kmの上り坂です。これは予想を超えた難関でした。
なんせ95kmほど走った後です。辛くて辛くて泣きそうです。リタイアしたくなりました。馬鹿です。ここでリタイアするとしたら「次のエイドまで歩いてください」の次のエイドはゴールなのですから。
追い打ちをかけるように霧が出てきました。
前が見えません。
10歩歩いて10歩走るというのを繰り返しヨロヨロ上がって行きます。
途中に私設エイドがありました。女の子ふたりにどこかのコーチっぽい男性ひとりでコーラを紙コップに用意しニコニコしています。
声を掛けてくださいました。
「僕もここでは歩くことあるよ。あと1・5km上がりで平坦のあと下りになるから頑張って」
まるで神の声に聞こえ、それまで一度も立ち寄らなかった私設エイドですが、コーラを頂きました。
「ありがとうございます。行ってきます」と言い残りを進みました。
果てしなく続くような上り坂がいつしか終わり頂上の平坦が少し、そして一気に下りに突入しました。ワタシ技が最後に出てきました。こんなラストで4分ペースになれるとは、結構走れるじゃんワタシ、というどうでもいい感動。もう訳がわからないまま競技場に入り、大歓声に迎えられました。
テープを切ってメダルを掛けてもらい、写真のタオルに包んで頂きました。
混乱しているので終わったのか途中なのか不明なままベンチに誘導されました。
シューズに付けた計測チップまで丁寧に外してくださって、至れり尽くせり。疲れたでしょう、あちらに豚汁ありますよ、オレンジも食べてね、などと周囲の皆さんがまるでボケ老人に対するように接してくださいます。

こんな感じで散々な私の走りは終了しました。
経験がものをいうウルトラ、あまりにも初めてな素人の私でした。