汚れなき祈り

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まだ学生だった頃に先生に質問したことがある。「先生の初恋はどんなひとですか」と。ちなみに私はカトリックの学校出身で先生は修道女だ。先生は頬を赤らめ、でも迷わずに即答した。「イエズス様です」と。
学生たちは、イっちゃってるな、ヤバいよ、と思いつつも妙に納得した。
ルーマニア映画『汚れなき祈り』の中で似たような場面があった。
同じ孤児院で育った少女ふたりが再会し、修道女になった片方に聞く「好きなひとでもできたの?」と。私は↑のような体験があるので、もちろん「イエズス様とかマリア様とか、天の父がどうとか」が答えだろうと予想した。
答えは大きくハズれた。司祭(神父)だという。肉体関係もあるのかと詰問された少女は否定しない。なんだか怖い話になりそうだと思った。
この作品は2005年に起きた事件を元にしている。ルーマニアの田舎にある小さな修道院で、悪魔払いの儀式で女性が死亡した事件。
共産主義時代のルーマニアは多くの修道院が閉鎖されたそうだ。でも共産主義が弱くなってくると、また宗教が求められるようになり、急速に教会や修道院が建てられた。
しかし教育が間に合わない。一夜漬け司祭が生まれ、無知な人々の形だけ教会ができてしまったようだ。
事件が起きた教会の司祭も村のサッカー選手で、受験に失敗して、神学部に入ったらしい。ちょうど近くに建てられた教会に、ほとんど経験もなく司祭様になってしまう。無知司祭は無垢な修道女を集めハーレム?みたいな修道院を作る。
少女ふたりがいた孤児院も酷いもんで、組織的な性的虐待が行われていたそうだ。そんな行き場のない少女たちが頼らざるを得なかった修道院で起きた事件。
誰が悪いのか。社会なのか、司祭なのか、時代なのか、無知なのか。
でも『汚れなき祈り』で描かれているのは生臭さではない。寒々しい土地にある修道院の姿。静謐な世界に現れた世俗的な少女。ひとりの修道女と強く結ばれた友達で、これから違う国で一緒に暮らすことを夢見ている。
けれどかつての親友は変わってしまって、修道女生活から抜け出そうとはしない。そこで生まれる葛藤、拒否されたことによる欠落感。宗教と不信により、引き裂かれる友情。
そんなものをクローズアップした美しいものだった。
クリスティアン・ムンジウ監督はあくまでフィクションとして作ったと言う。
なるほどと思った。プロモーション用に作られた予告編は2種あって、ひとつはホラー風で主演の女性ふたりは強力に反対したそう。面白いなと思う。ひとつの題材でも、捉え方、見せ方によって(プロモーションという最後のものであっても)全然変わってしまう。
間違うことなく伝わってきました!と言いたい。こんな遠く離れたアジアの国にも、ブレずに伝えられることは本当に素晴らしいと思った。

ゴッド・ファーザー

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タイトルはアレだけど、別にシチリアのマフィア映画について言いたいのではない。
これインドビール。ゴッド・ファーザーって名前。シネマライズでインド映画やってて、こんなビールがあった。
飲みた~い!と激しく思う。どんな味なんだろう。
キングフィッシャーとかマハラジャとかはインド料理屋さんでよく見かける。ゴッド・ファーザーってなによ?一体。瓶のデザインも惹かれる。
それで買う。「ゴッド・ファーザーください」とドリンクバーで言うのはなんか恥ずかしい。そのネーミングはできたらやめて欲しい。
係のひとはプラスチックカップに注ごうとするので、「瓶ごとください」と言う。すると、「場内に瓶は持ち込めません」とおっしゃる。仕方ないので瓶の写真だけ撮らせてもらった。
プラカップでは味気ないが渋々ビールを注いでもらう。
味はインド!風味が濃くてすごく美味しかった。ポップコーンとかチュロスとかじゃなくて、バターチキンカレーとかサモサとかサグマサラの方が合いそう。
インド魂が騒いだ。