大根を見て思う

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大根が大根っぽくなってきました。
種蒔きで肥料なしなのでゆっくりです。

年末のフルマラソン後の身体ですが、全くダメージがないのが異様です。
筋肉痛すらありません。
また走ってしまいそうです。

でも内臓とか深部では何かしら痛むものだと聞くし、二週間は様子見ます。

決めたペースが緩やか過ぎたのかなと若干思いました。
練習のときはキロペース5分15秒でも続けられるかあやふやだったのは確か。
夏の時点ではそれも苦しいかなと思ってました。だからフル3時間45分切りを目標にしました。

3時間半切りだとキロペース4分台で走り続けなければならないのです。それは確実に違う世界。
そんな練習をしていたら、疲労骨折とか肉離れとかしそうです。

でも今年はそこに行くべきかなと思いました。また年末辺りまでにゆっくり仕上げます。
その前に距離を伸ばす挑戦が念頭にありまして、地味に頑張ります。

昨年は企業主催の夏合宿やランニングサークルに参加したりして、他のひとたちと交流もしました。それはそれで有意義で楽しかったです。
けれど今はまたひとりになりました。

理由はいろいろありますが、やはり一番は走る行為は自分のものだということです。誰かと走るときは意識せずとも誰かと合わせることになります。
常に自分よりほんの少し速いひとと走れるなら力になるけど、まずそれはありません。
速過ぎれば脚を傷め、遅過ぎれば練習になりません。またスケジュール的にも自分の走力の為というより、その団体を盛り上げる目的が強くなってしまいます。
寧ろ社交の一種で、人間関係を築く意味合いが強いのだと感じました。
それが価値あるもので必要なひともいるのは確かだと思います。
私がある団体を辞めるときに言われたのは、
「みんな既婚でユルランのひともいるし、ルキちゃんとは違うから・・・」
みたいなこと。
もう私のいられる場所ではなくなったと気づいて、悲しかったです。

走るのは音楽と似た共通言語で、年代や生活環境はそれぞれであってもランナー同士通じるものだと思ってました。
練習の孤独さや辛さを、たまに一緒に走ることで共有できることが貴重でした。
でも繋がりがメインになって不倫の男女関係に陥ったひとの話など耳にすると、なんか薄ら寒い気分になりました。そういうのはもちろん自由だし自分が違うスタンスにいればいいだけだけど。

私は音楽を作って発信したいという人生の目標があり、その為にいろんなことを犠牲にしています。
まともにお金を稼ぐ仕事にも就いていないし、恋愛も二の次、結婚は多分しないし子供も産めません。病気や怪我をしてもひとりでなんとかしなきゃいけないし、老後はきっと孤独死します。
だからといって絶望しているかというとそうでもないです。
こういう生き方をさせてもらえる環境にも出会ったひとにも感謝しています。

けれど普通の幸せの条件をクリアしてきたひとからすれば、惨めに見えるのだと思います。
ライブをしたりメディアに出してもらえる一瞬だけを見て、嫉妬されたり批判されたりもします。
心ないひとには、怖いとか暗いとか、気の毒だからライブ観てやったとか、好き勝手に言われます。
そんなことを飛び越えるくらいの素敵な音楽を提供できていないということでしょう。

走るのは誰でもできるし、想像もつく。
タイムや距離は全世界平等で批判しようがないです。
明確な結果を得られることは私にとって唯一安心なことです。

前向きに必死に生きてきたことは確か。絶望するのが目的ではなかったです、いつも。証明できるように音楽として形にしたいです。
そんな目標で今年は頑張ります。