健全な身体に不健全な魂を宿して~富士五湖まで99日
こんにちは。
変なタイトルですみません。
事後報告にするつもりでしたが、心が折れるだろう近い未来を見越して、後戻りできないように宣言することにしました。
実は4月24日のチャレンジ富士五湖ウルトラマラソンに出ます。
このド素人な私がエントリーしてしまったのです~!それも100キロ!
正気の沙汰とは思えません。我ながらお前はアホかと突っ込みたい気分です。
ライブもなくて制作期なので、たとえ身体がボロボロになったとしても、かろうじて許される時期かなと。声帯や作曲能力が走って死ぬことはない・・・きっと。
タイトルにしました『健全な身体に不健全な魂~』というのは、日頃思うことです。
音楽をするような人間はとかく反社会的な素行をイメージされます。
夜中から朝まで悪い友達と街を徘徊し、タバコをばかばか吸って酒を煽り女を泣かせ、親はもちろんのこと親戚関係なんかダセ~ものは俺には存在しないぜ、ぐらいのこと言わなきゃいけない感じです。
アマチュアミュージシャンがたくさん来るレンタルスタジオの風景など見るとよくわかります。
黒い革っぽい服を着たり、変な色に染めたヘアで、突っ張った方々が任務のように懸命にタバコを吹かしています。
そんなひとたちに運動してるなど言ったら軽蔑されそうです。食生活に気をつけてるなど言ったら総スカンに会いそうです。
「ロックじゃねえぜ!」
という声が聞こえそうな雰囲気です。
でも、なんでしょう。そういうことではないみたいに感じます。少なくとも私が生きてきた数年を振り返りますと。
繊細な曲を作りたいから病弱になって、文学的なアーティストになりたいから内面に引きこもって、いつまでも少年少女でいたいから大人になる為の勉強はせずアウトローでいるって、一理あるけど本当のところどうなのでしょう。
私の目指したいの健全な肉体に不健全な魂を宿すことです。もちろん不健全といっても警察に捕まるような類いのことではなくて、型にはまらず自由に表現できる精神という意味です。
曲を作ったり演奏するのは内面性が重要だけど、それを確実に表現するにはフィジカルな部分を整えておくことが大切に思えます。
こうやりたいのにできない、イメージはあるのに形に仕上げるまでの持続力がなかったり、手伝ってくれるひとを動かすコミュニケーション能力がない、とか残念過ぎます。
自分の容れものを鍛えたら内容物も良くなって、できなかった表現が自然にできるようになっていた、ということを往々にして体験しました。
そんなこともあり、今年はウルトラまで行ってみたくなりました。
その先に見える景色がどんなものなのか。すごい音楽が作れる自分になれるかも。
っていうか完走できるのか、私・・・
ちなみに富士五湖ウルトラマラソンはまだエントリー可能です。
宿泊施設はかなり少なくなってるみたいなので、チェックしてみてください。
私は新宿からのバスで前日に入り、前夜祭参加、一番安い民宿の相部屋を取りました。
もしご興味ありましたらご一緒に走りませんか。
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