グザヴィエ・ドランについて 物語
- 2013年9月16日 09:14
カテゴリー: 映画
- このフライヤーにある場面は、とても美しい。主人公カップルが長年行きたかった土地へ旅するシーン。青い空の下、地面には雪が残っている。男は紫のコート、女は青いコート、それぞれ色付きのサングラスをかけている。
ファッションショーの如く音楽が鳴る中を歩くふたりは幸せそうだ。空から降ってくるのは色とりどりの布。服なのか布切れなのか、度々登場する洗濯ものなのか、わからない。
このシーンだけ観ても強烈なインパクトがある。これくらいビジュアルに凝った場面が168分続く『わたしはロランス』。恐ろしい。ちょっとトイレ、とか言えない感じ。数秒足りとも見逃せない。
だがグザヴィエ・ドランは「自分がスタイルや学説を発明したなんて思い上がりで時間を無駄にするつもりは一切ないよ」と言う。絵画や写真の構図、偉大な映画作家の手法などアイディアや技術は、1930年以来すべてなされたと。
「僕の仕事は、物語を語ること、うまく語ること、そして、その物語に値する、ふさわしい演出をすること。」と言っている。
これは音楽を作る私のような人間にもわかりやすい。音もリズムも出尽くされている。思いつくアイディアだって、きっと過去の誰かのものに似てるはず。それならワタシというリアルなものを通して自然発生するメロディーや言葉を出すしかない。かっこいいサウンドを常に求めるが、外側から攻めたものに終始して、物語(ワタシ、メロディー、言葉)がなければ空疎なものになる。
ドラン作品のスペシャルさは、筋の通った強い物語によるものだ。お洒落なだけではない、本物の愛を描いている。
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