ハンナ・アーレント

そのユダヤ人哲学者の人生は、逆境に立ち向かい真実を訴え続けるものだった。『ハンナ・アーレント』はニュー・ジャーマン・シネマを牽引する世界でも有名な女性監督マルガレーテ・フォン・トロッタの作品。悪とは何か、思考する女性の姿に深く迫っている。
ハンナ・アーレントは第二次大戦中にナチスの収容所から脱出し、アメリカへ亡命した。かつて愛人関係であったマルティン・ハイデカーは哲学の恩師でもあったが、ナチスに入党し言わば敵になる。1950年に再会も果たしているが、「ハイデカーを潜在的な殺人者だとみなさざるをえないのです」と書いた書簡が残っている。これだけの事実を見ても、彼女の引き裂かれるような年月を思い知ることができる。
終戦後、明らかになるナチスの犯罪の実態を理解する為に研究と執筆を進め、1951年『全体主義の起源』を公刊した。一躍有名になった彼女は、世界に敬愛され大学でも講義を持つようになる。そして1960年、ある重大ニュースが聞こえた。何百人ものユダヤ人を収容所へ移送したナチス戦犯アドルフ・アイヒマンが逃亡先のアルゼンチンで逮捕されたのだ。イスラエルで開かれた歴史的裁判をハンナ・アーレントは傍聴し、ザ・ニューヨーカー誌にレポートを発表する。そのことが新たな火種を生み出すことになってしまう。
アーレントが裁判で目撃した「生身のナチス」は恐ろしい殺人鬼ではなく、全くの凡人だったのだ。ナチスの官僚用語と決まり文句を繰り返すばかり。彼には思考や判断力が完全に欠如している。
ハンナ・アーレントは2年かけてこの問題を思考し、理解しようとした。そして「恐るべき、言葉に言いあらわすことも考えてみることもできぬ悪の凡庸さ」と表現し発表したのだ。しかし「悪の凡庸さ」という衝撃的な言葉だけが独り歩きしてしまった。世界中からのバッシング、同じ境遇のユダヤの友人たちは去り、仕事も失われる。冷たい視線を受けながら長いスピーチをするラストシーンは見事だった。

この作品について私はなんと書いていいかわからなかった。もう公開も始まってる。上手く伝える自信が持てないが、やはり少しでも誰かに伝えたいと思った。無思考というのは悪である、と私も強く思うから。馬鹿のまま生きるのは幸せかもしれないが、テロや戦争や原発事故などの緊急事態が起こりうる時代である。無思考であることは、人間性を失うことと同義だ。
過去の女性哲学者がバッシングに屈することなく伝え続けたことは、今の私たちにも充分リアリティを持って受け止められる。

岩波ホールにて公開中。







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