フランソワ・オゾンについて まぼろし

フランス映画というと何をイメージするだろうか。ゴダールやトリフォーのヌーベルバーグ時代、それがひとつの黄金期であったのは事実だろう。彼らの影響は現代の多くの作品に見られ、マニアならオマージュと称して堂々と真似したりする。
そんな中、他のフランス映画とは一線を画する作風を発表し続けている作家がいる。日本でもお馴染みのフランソワ・オゾンだ。彼はゲイであることも公言し、マイノリティなテーマから幅広く愛されるコメディーまで様々な作品を世に送り出してきた。どこかのオゾン試写会で「お洒落なフランス映画っていいわよね。監督もいいのよね」と言ってるおばさんがいて、クソだと思った。オゾン作品はお洒落なフランス映画でもないし、ストーリーや予告編に誘われて観に行く類いのものでもない。フランソワ・オゾンだから観るのである。フランソワ・オゾンは今なにを思い、なにを伝えたがってるか知りたくて観るのだ。
と小難しいことを言ってしまったが、純粋に彼の作品は面白く素晴らしい。現代フランス映画の重要なひとりといって間違いない。
私が好きな作品はたくさんあるが、一番オゾンらしいと思ってるのが『まぼろし』だ。かつてナチスの将校に弄ばれたユダヤの少女が、戦後男と再会し女王として君臨する、『愛の嵐』のシャーロット・ランプリングが主演していた。彼女は『まぼろし』の頃、既に中年期だった。しかし物凄く美しかった。シャーロット・ランプリングという唯一の美があることを証明していた。ストーリー的には突然訪れた長年のパートナーの不在を描いてる。苦しさを乗り越えられず、波にたゆう人生を選ぶような不思議な作品。うわ~、オゾンって感じ。この解決の無さはなんなんだろうと思った。でも現実というのはこういうものだろうとも思った。明日から前を向いて生きるとか、涙の再会とか、嘘臭いことは一切描かれない。切なさなどという甘さより、非情なほどの孤独感だった。
フランソワ・オゾンは信用できる。「お洒落で素敵」と勘違いさせるくらいのエンターテイメント性も持ち合わせながら、甘さのないリアル。彼の新作は間もなく公開になる。



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