軽やかなサウンドで部屋に置いてもらえるものを目指した作品群です。お好きな飲み物のお供や、出勤やお散歩やワークアウトの時間の彩りに使っていただけたら本望です。優しいアコースティックな楽器の音に現在進行形のリズムトラックを多用しました。しかし無難な雰囲気ものに妥協したわけではありません。どの曲も100%の熱いソウルをぶち込んで完成させました。一回聴いたら無意味になることのないよう、経年使用に耐えられる仕様になっております。



1. ジャンプ
 ずっと生きていることに罪悪感がありました。生産的な仕事もしてなくて、誰かを幸せにしているわけでもなく、周囲に面倒ばかりかけている、そんな情けない自分がなぜ生まれる必要があったのだろうかと。でも聞くところによると、この世に生を受けるというのは凄く稀なることで、産まれる前の霊魂だか魂だかは数少ないチャンスを勝ち取り、今のあまり上等ではない人生をわざわざ選んで生まれてくるのだそうです。そんなスーパーナチュラルな話の信憑性はともかくとして、少なくとも自分の駄目っぷりを運命や誰かのせいにして生きるのはみっともないなと思いました。「ジャンプ」はそんな思いからスタートした曲です。

 イントロのギターフレーズをマルさん(サウンドプロデューサー・円山天使)が弾いてくれた瞬間に、この曲の方向がはっきりしました。新品の筋肉を動かす喜びや感動ではなくて、“傷も歪みもある大人が真剣に前向きになる”ことがテーマになりました。キラキラしている人や過去の自分と比べて落ち込む暇があるなら、今できることが何かあるのではないか、もっと頑張れよと。まずは今日の最高を目指すところから始めようと、自分に言い聞かせながら歌っています。

2. ホームタウン
 先日、世田谷の松陰神社前に行きました。そこは友人が住んでいる街で彼女ともう一人の女の子と3人でランチしたのですが、その商店街を歩いているときに不思議な感慨に襲われました。自分の地元ではないのに懐かしいような既視感、腹の底をくすぐられているようなざわざわした感じ。その感覚を探ってみたいと思いました。そして生まれたのが「ホームタウン」です。一応郷里を捨て都会で生きる人の体裁をとっていますが、私は東京出身ですので、お盆やお正月に帰る田舎はなく今住んでいる処が郷里です。でも東京が都会っぽいのは表向きだけです。私が早朝ヨガクラスに遅刻しないようにと朝5時に最寄り駅へ向かうと、近所の商店のお母さんたちは既に集まってほうきを手にしています。人通りの少ない薄暗い時間に街の掃除をしてくれていたのだと最近知りました。朝晩くらいしか地元にいないことが殆どですが、見えないところで色んな人の優しさが息づいているのだと感じます。その空気がまさに「ホームタウン」です。胸を締め付けられるような甘酸っぱさ。普段は資本主義社会にどっぷり浸かり利益重視の駒となった人間が、無償の愛を突然受けてオロオロしている、そんな曲です。

3. とける
 『バハールの涙』という映画を観ました。イスラム国(IS)に夫を殺害され子供は捕虜にされ、自分は性奴隷とされたイラクのクルド民族少数派ヤジド教徒の女性が、女性武装部隊「太陽の女たち」のリーダーになって戦う、実話を基にした物語です。かっこいいエンタメ系の戦争映画にはどうも抵抗があるのですが、これは別でした。“女に殺されると天国へ行けない”と言われるISの兵士を震え上がらせる彼女たちの強さはもちろん愛で、横暴なだけの男たちには太刀打ちできない別次元の存在。自己犠牲を厭わない女性ならではの精神性を感じ、強く共感しました。

 その中で、戦場がふと静まり返るシーンがありました。安らかな瞬間のふりをした嵐の前触れで、敵の攻撃のカウントダウンが始まっている時間です。そのシーンのイメージで「とける」は作りました。私はそこへ行けないけれど、彼女たちの凍えた手を握り傷付いた心を溶かすものになりたいと思いました。

 世界中で人知れず戦い続けている愛と平和の使者は無数にいるでしょう。弱小な音楽でも参加できることをいつも考えます。

4. 台風の目の中で
 逆境の只中にいる時というのは傍らから見るより鈍感になる気がします。痛みに向き合う前に眠ってしまったり、辛い記憶を忘却して、生存する余力を保持する防衛本能が人間には備わっているのだと思います。「台風の目の中で」はそんな状況を歌っています。実際に台風の目の中は静かな空間のようです。ひとときのシェルターとしては危ういものですが。

 この曲の主人公は穏やかな陽射しの中、蝶に目覚めさせられます。しかし柔らかいクッションのような草原は半径数メートルしかなく、強風の壁に囲まれていることに気付きます。ほんの少し前に投げ飛ばされた衝撃を受けたことを思い出し、次第に痛みが蘇ってきます。また眠って訳のわからないまま死ぬ方が楽じゃないかという妄想にも駆られます。それとも再び荒ぶる風の中へ向かい負傷してでも現実と向き合うか。そういう時は、いつか誰かがくれた一欠片の愛情が力になってくれると私は信じています。心のお守りを持っていない人は一人もいないはずですから。

5. 新月とコヨーテ
 冷たい空気の中、白い息を吐きながら森を走る一匹のコヨーテのイメージが浮かびました。狼ほどの迫力もなくあまり可愛くもないけれど、切ない鳴き声を出すコヨーテにシンパシーをおぼえます。

 新月はひと月に一回巡ってくるものですが、満月のように肉眼で確認することは出来ません。夜空から消えてしまう日なので。けれども新しいサイクルの誕生を意味する時だと感じます。私も孤独なコヨーテの如く池に映る自分の姿に常々絶望していますが、新月は敗者復活のチャンスかと思い、何かやってやろうと毎月奮起します。新しい地図を作り、最小限の食物を持って旅に出る勢いです。凄い鉱脈を掘り当てようと右往左往するわけですが、未だにハズレっぱなしです。もっと深く掘れる道具を手に入れられれば見つかるかもしれません。正確な探知機を買えればいいのかも。そもそも方向が違ったらどうしよう。だけど、そういうことじゃないのですよね。何処かで気付いています。もっと今あるものをしっかり見つめることが重要なのだと。日々精進したいものです。

6. サンサーラ
 輪廻転生をテーマにした曲です。前世の行いにより現世があり、今の生き方次第で来世が決まるという、インドの宗教感が基にありますが、私のイメージだとモンタージュ的な感じです。大きな宇宙の中で偶然バラバラに出会ったと思われるものが実は線で繋がっていて、どの命の時もまた芋づるのように同じものを引き寄せているのではないかと。取捨選択して貼り付ける場所を変えるのはお好み次第ということで。

 リベルタンゴはアストル・ピアソラが世に放った“革命”を意味するタンゴで、別名・踊れないタンゴ。それまでの常識を覆しダンスの為の伴奏ではなく、モダンな音楽としてのタンゴを作ったのは彼の功績です。まさに掛け離れた要素を融合する天才。

 また私がずっと部屋で育てているインド菩提樹の枝に、子供の頃に大好きだった『不思議の国のアリス』のチェシャ猫が登っていたり、ヒンドゥー神話の創造神ブラフマーの妻で最古の弦楽器を弾く女神サラスヴァティ(日本だと金運を司る弁財天になっているのが若干不満)が軽やかな音を夜空へ放っている風景も浮かびます。luki的モンタージュが上手くいっていたら嬉しいです。

7. 1%
 何となく疎遠になってしまった人、逝ってしまった人、憎み合って絶縁した人・・・たくさんの別れを経験しました。執着心はない方なので振り返って後悔することはないのですが、ふとした瞬間に思い出したり、夢に出てくることが稀にあって不思議です。そんな薄い感情をロマンティックに表わしたらどんな感じかなと思い作ったのが「1%」です。

 浮遊感のある夢や、モロッコの砂漠やスークを歩いている風景が浮かび、この曲の色彩になりました。なんのリクエストもしなかったけれど、マルさんのギターソロも同じようなトーンの少し危うい魅力あるフレーズと音像になって、ぴったりでした。このアルバムではこんな音のケミストリーが無数に生まれました。

8. Thanks
 おそらく猛反対を受けていつものようにボツになるか、歌詞を書き直すことになるだろうと予測しつつ作った曲です。ですので、予め「これは恨み節ではなくて、転ぶ経験の素晴らしさと失敗する権利の尊さを歌うもの」と先手を打ちました。作品として表に出すことをお許しいただけたことにまず感謝します。

 私の思惑はluki教のゴスペルを作ることでした。病が治らず際限まで追い詰められてしまったり、大切な人に裏切られ不信感でいっぱいになったり、世界の不協和の犠牲になったりする場合、その人を絶望から救うことはとても難しいです。どんなに前向きな言葉も受け入れられなくて当然です。

 ただ唯一救われる道があるとすると、自分の首を締めている元凶に対して、敢えて「ありがとう」と言ってみることだと思うのです。そうすればそこから一段高い処へ離れ少しは楽になれる気がします。また被疑者は負の荷物を背負ってまで、自分に貴重な経験の機会をくれたと思えば、そんなにありがたいことはないわけで。神は霊験あらたかな天にいるのではなく、それぞれの胸に各々の形で標準装備されているのではないでしょうか。まさに全てに“Thanks“です。



2019.05.29 Release『新月とコヨーテ』
¥1,650(tax in) XNRJ-10007

1. ジャンプ
2.​ ホームタウン
3. とける
4.​ 台風の目の中で
5.​ 新月とコヨーテ
6. サンサーラ
7. 1%
8. Thanks